- 出光真子(映画作家)インタビュー
- 映画芸術 DIARY
映画芸術 no.428
http://eigageijutsu.com/article/129727830.html
「女」にこだわり続ける映画作家、その歩みを金子遊が聞く
- 出光真子作品上映とトーク
- 2009年11月 29 日 日曜日、14時〜15時30分
会場 中目黒住区センター 研修室(中目黒スクエア内、中目黒駅 10分)
http://www.city.meguro.tokyo.jp/shisetsu/shisetsu/juku_center/nakameguro/index.html
進行 深澤純子(女の空間 NPO理事)
終了後、中目黒駅周辺のお店で懇親会を予定しています。 - Vital Signals:日米初期ビデオアート上映会
−芸術とテクノロジーの可能性− - ヴァイタル・シグナル
60年代から70年代における日本とアメリカのビデオアート
特別協力 アメリカ大使館
「ヴァイタル・シグナル」は、エレクトロニック・アート・インターミックス(EAI)が、横浜美術館、および日本のキュレーターや研究者たちと連携し、 EAIの所蔵作品とともに、日本の初期ビデオ作品を紹介するものです。EAIは1971年にニューヨークに設立された非営利芸術機関で、ビデオアートをサポートし、配給する目的で設立されたアメリカで最初の組織の一つです。
- 10月 6, 13, 20 日 火曜日、7時
ロスアンゼルス州立美術館-LACMA 、ロスアンゼルス、アメリカ
11月 14 日 8時30分
ジャパン・ソサエティー、ニューヨーク、アメリカ- パフォーマンス:行為の記録、身体の記録
身体表現と深く関わった作品を紹介します。単なるパフォーマンスの記録を超えて、アーティストは身体的、情動的身ぶりを肉体という限界をこえて拡張するため、しばしばビデオを利用します。ビデオのもつ映像装置としての技術的可能性は、一方でドキュメンタリーを構成し、もう一方で映像としての造形面を構成するための操作を可能にします。
ヴィト・アコンチ/ポール・マッカーシー/村岡三郎+河口龍夫+植松奎二/ジョーン・ジョナス
/出光真子/ブルース・ナウマン/アンテ・ボザニッチ/和田守弘
- Mako Idemitsu, Past Ahead 2005 「直前の過去」
- ビデオ・インスタレイション 音響:カール・ストーン
姉と私の幼いころの写真。 のどかで平穏な市民生活が偲ばれる。 それは一九四〇年のはじめ、(昭和十六年から数年間) に撮影されたもの。 一方、当時、アジアへの侵略戦争をすすめていた日本は、 太平洋戦争に突入した。 今、私たちも、のどかで平和な生活を送っている。 一方、自衛隊は軍隊になり、イラクへ出ていった。 戦前と現在の状況を似ていると指摘する声がある。 私の幼いころの写真と日本軍の写真を使って、 当時の、市民生活と軍の動きの乖離を映像化する。 穏やかでのどかな日常生活が、いつのまにか、 戦争にまきこまれていった過去の事実を想像し、 現在の状況を重ね合わせて考えること。
by Mako Idemitsu

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女性と日本の家族のあり方を、先鋭的な映像を通し、 30年余に
わたり作品化してきました映像作家、出光真子が真撃に
その半生をふりかえる自伝を岩波書店から出版しました。

- 出光真子の初期 3 作品が 2005 年 11 月 19 日にDVD で発売されました。
出光真子の映像世界のエッセンスがここにあります。
DVD 「おんなのさくひん」の収録作品:
おんなのさくひん What a Woman Made (1973 年、ビデオ、11 分)
Woman ' s House ( 1972 年、 16mm, 14 分)
主婦の一日 Another Day of a Housewife (1977 年、ビデオ、10 分)
問合せ・販売:art media K.Y. ( アムキー ) tel./fax: 050-1159-9306 http://www.amky.org/japanese/shop/index.html

- 「個人映像の志」映画評論家 佐藤忠男氏
- 『ビデオ SALON』2005年8月号
- 個人が映像を作る意味や意義を見直してみよう。その創造の楽しさ、尊さと映像が持つ影響力を見つめよう。
個人映像が持つ役割の大きさと重さを再認識するおよそ 3000 字のコラム。
- 出光真子は個人映像の注目すべき作家のひとりである。 1969 年にアメリカで8ミリカメラを手に入れて
カリフォルニア大学の夜間講座に通って実験映画を作り始め、まもなく 16 ミリで撮るようになった。
1972 年の ” Woman ' s House ” は、一軒の家の中のやたらきれいで艶っぽい装飾のある壁や階段をなめるように
撮ったもので、そこには乳房の模型みたいなものがベタベタ貼りつけられていたりして、ちょっと薄気味が悪く、
そこで今、女であるということの条件が、この撮り手にとってなんとも耐え難い桎梏のようなものとして
感じられていることがピンとくる。豊かそうだが閉鎖的な空間の自由のなさ、息苦しさが見事に暗示されていた。


